ピオニーズ 解釈
はじめに:
≠ME「ピオニーズ」の解釈(ほぼ二次創作)。解釈上本人たちのお名前をお借りしていますが現実のお2人の関係とは何も関係ありません。
「がらり広い空間 横たわっているプリンセス
世界は広いらしい 此処には2人きり」
最初の"広い空間"は2人がいる部屋のこと。実際にはそこまで広くないけれど2人きりだから広く感じる。
横たわっているプリンセス=眠っている菜々風ちゃん?
世界は広い"らしい" あくまで推測。菜々風ちゃんは外の世界に出たことがないのでこの部屋でも十分広く感じるがそれ以上に世界が広いことを萌子ちゃんから教えられる?
「この部屋に守られ この部屋で蕾に
痛み重なり 花びら重ね 鮮やかに大きく開いた」
生まれた時から大人になるまで(種→蕾→花)菜々風ちゃんはこの部屋から出たことがない。悲しみ(=痛み)なども萌子ちゃんに教わった感情。(なので今感じている悲しみも菜々風ちゃん本来の感情かどうかは定かではない?)鮮やかに~は菜々風ちゃんが美しい大人になったことを意味する?
「君がいて 私咲き誇り 私見て 君は咲き乱れ
美しい花 籠に投げ捨て 朝の眩しさすら知らぬまま」
君(=菜々風ちゃん)がいるからこそ萌子ちゃんは生きていられるし菜々風ちゃんから見た君(萌子ちゃん)も萌子ちゃんが自分のことを愛してくれているのを分かっている。(ただそれが狂気だとは気がつかず純粋な愛だと思っている)
「美しい花 籠に投げ捨て」のこの解釈は迷うけど、この花は隠喩ではなくそのまま植物の花って解釈もありかなと思う。どんなに綺麗な花でもお互いさえいればどうでもいい、って感じ?
朝の眩しさは外に出ないと分からないものなのでこれも外に出たことがないという表現。
「キャパシティ全て埋め尽くし 優しさに切な
ちょっと悲しみ 感情全て 私にください
雨の冷たさより冷酷に
愛に塗れるのよ ピオニーズ」
単純に菜々風ちゃんの感情を全てコントロールして萌子ちゃんにだけ向けたいという表現。喜び、楽しみというような感情がなくてあえて悲しみが入っているのが自己中心的というか、支配するにはどうすればいいのか分かっている感じなのが怖い。
「こつり 響く足音 それを合図に踊りましょう
誰に躾られたか 此処には2人きり」
これもまたその空間に2人しかいない表現。誰に躾られたかを萌子ちゃんが歌っていることで菜々風ちゃんを無意識のうちに洗脳して2人きりなのが普通、ここから出ない方がいいという思考を植え付けている。
「今日は窓を開けよう レースカーテンは揺れ
外の空気に 幻見えて くらり倒れ ベッドに行こう」
外の世界を全く見せないのも不自然なのでたまに窓を開けて菜々風ちゃんの疑問に答える。「幻見えて」は危ないものばかりという思考?(ここは凄く迷う)やっぱり外の世界は危ないから2人でベットで話そうって感じかな。
「疲れ果て眠る ピオニーズ 不意に目が合って 微笑んで
シルクのような肌に触れたら 君に堕ちるだけよ 導いて」
これは歌詞の通り。解釈の余地もない。
「傷付いた日には抱き合うの 喜んだ日にも抱き合うでしょう
いつかそんな日が訪れるの? 喜びの感情は知らない
虚しく響いてる スクリーム」
ここまじで天才。先程の通り菜々風ちゃんの感情は萌子ちゃんに全てコントロールされていて優しさ、切なさ、悲しみ以外の感情はほぼ無さそう?なので喜びの感情は知らない。スクリーム(=叫び声)は菜々風ちゃんの心の声とかかな……。薄々気がついているけれど長年縛られていたその感情はそう簡単に解き放たれるものではないので。
「君にキスをするふりをして 不幸一粒 溶かした
助けて欲しいの 助けてあげるわ
誰にも見られず このまま」
「君にキスをするふりをして」=愛している振りをして「不幸一粒溶かした」=菜々風ちゃんは真の幸せには辿り着けない。萌子ちゃんはそれでいいと思っている。
助けてほしいの→菜々風ちゃんは段々狂気に気が付き萌子ちゃん以外に助けを求めようとするけれど萌子ちゃん以外は存在しない世界なのでその当人が助けてあげるわ、と逃げ道を塞ぐ。
「君がいて 私咲き誇り 私見て 君は咲き乱れ
美しい花 籠に投げ捨て
朝の眩しさすら知らぬまま
それでいい」
それでいいが萌子ちゃんの切実な叫びという感じ。この狂気に気が付かないでほしい。そのまま真っ白な"君"でいてほしい。
「今日もまた2人 手を繋ぎ 同じ毎日を過ごすだけ
穢れることを恐れるように 君の眼差ししか知らぬまま」
歌詞そのまま。この部屋にいれば穢れないからこれからもこの部屋から出ずに2人きりで過ごすことを示唆。
「キャパシティ全て埋め尽くし
優しさに切な ちょっと悲しみ 感情全て 私にください
雨の冷たさより冷酷に ずっと愛し合うの ピオニーズ」
「ずっと愛し合うの ピオニーズ」→萌子ちゃん1人で歌っているので一方通行の感情。最後倒れた菜々風ちゃんのこともあり萌子ちゃんが無理やり説得(洗脳)して一生この部屋で過ごすことになる2人。
ただ、萌子ちゃんに目隠しをされた菜々風ちゃんが笑ってもいるので途中から菜々風ちゃんが支配される喜びを感じていてもいいな~と思います。
映画『怪盗クイーンはサーカスがお好き』の感想
※感想と怪盗クイーンが私のすべてのはじまりだったのでは、というお話
※ネタバレが含まれます⚠️
先日『怪盗クイーンはサーカスがお好き』の劇場OVAが公開された。私も既に3回ほど観劇し、その度に新たな感想が更新されていっている。その感想の前に少し昔話をさせていただきたい。
私が『怪盗クイーン』シリーズに出会ったのは小学校高学年の頃だ。その頃の私は本の虫と言っても過言ではないくらい図書館に通い詰めていて、『わかったさん』『こまったさん』シリーズや『わたしのママは魔女』シリーズなどを経て青い鳥文庫に出会ったのだった。色々なシリーズを読んだが、中でも怪盗クイーンシリーズは1.2を争うほど大好きな作品になっていた。同じくはやみねかおる先生著書である夢水清志郎シリーズとリンクしていることにも浪漫を感じ(オタクはクロスオーバーが大好き)、まるでアニメかのような細部まで描き込まれたイラストや個性的なキャラクター、そして何よりも小学生にも読みやすい文章ながら作り込まれたストーリーにどんどん引き込まれていったのだ。
しかし、いつの日か図書館にも通わなくなってしまい、怪盗クイーンシリーズも追わなくなっていた。それでも、SNSでしばしば話題に上がる「好きだった児童書」には私の中では必ず名前が上がっていた。
そんな時に舞い込んできたのが怪盗クイーンの映画化のお知らせだ。衝撃だった。まさか、私の脳内で動いていたクイーンが、ジョーカーが、RDがアニメで動く!?暫く信じられない気持ちだった。
それからはお察しの通りだ。1週目に3回足を運んだ。もちろん特典が欲しいというのも理由の一つではあったが検索すると出てくる感想を見ていると小ネタやこだわりが無限に出てくるため、1時間という観やすさも手伝って記憶上初めての頻度で通った。
ところで皆さんは自分の好きな漫画がアニメ化をするという経験があるだろうか。キャラクターの紙面でのその動きや声を脳内で補完しながら読み進めていた作品に声がつき効果音がつき、キャラクターが動くその感動は計り知れないものがあるのでは無いだろうか。それが今回の怪盗クイーンは小説からアニメ映画なのだ。小説は挿絵以外は自分で想像するものだ。しかし、アニメになったから当然キャラクターが動き喋るのはもちろんのこと、自分の想像で補っていた描写が視覚にダイレクトに伝わってくる。感動しないわけがなかった。
さて、一通り昔話をしたところで感想だ。まとめられる自信が無いので箇条書きにしていこうと思う。なお、現時点での私の怪盗クイーンの知識は途中で止まっているので小説でも描写あったじゃん!というのは読み飛ばしていただきたい。
・カモメの描写。サーカスを読んだ時に好きな一文でもあったので入れてくれて嬉しかった。あとスタッフロールのところもトルバドゥールにカモメが追いつこうとしている映像だったのも天才……。
・トルバドゥールがここまで豪華な内装だとは思っていなかった。ここを掃除するRDに頭が上がらない。
・クイーンの声が素晴らしすぎる。性別不詳だったからどちらかに断定できるような声だったら……と少し不安だったけれど杞憂だった。他のキャラクターの声も全員素晴らしい。あと、クイーンに信じられないほどのエフェクトがついているという感想を見てから改めて映画を観ると本当に驚くほどキラキラしていてちょっと面白い。
・夢水清志郎と3つ子ちゃん出てきてリアルに叫びかけた。
・星菱邸から脱出する時の「ボンソワール」の声、かっこよすぎる。
・当たり前のようにクイーンに温かい飲み物(両手で持ってフーフーするクイーンも可愛い)を持ってきて傷跡を手当するジョーカーくん、習慣化してるんだろうな……。良。
・「なっ……教えてください!」「ケチ」っていうジョーカーくん!?!?良すぎる。可愛い。
・ジョーカーくんのパジャマが異様に可愛くて律儀にナイトキャップまで被っているの、クイーンが己の世界の全てだから……?とんでもないな
・予告状を渡されるスタッフになりたかった
・3つ子ちゃん!?!?
・ジョーカーくんが変装している岩清水刑事はしばらくピアスが着いている左耳が見えないって聞いて確認したら本当だった。ライオンを止めるところで初めて見えるの良すぎる。
・まりさんのスマホ~のくだり、まりさんの記者としてのプライドを感じられて原作でも好きだったから入ってて嬉しい。本当にその通りなんだ……。記者が全員まりさんみたいな志だったらいいのに。
・西園寺→シャモン斎藤になり変わったの、初見じゃ絶対気づけない。ミスリードが上手すぎる。
・当たり前のように手錠をはずすジョーカーくん。良い。
・当たり前のように空中ブランコして瞳さんを助ける2人。良い。
・あくまで『手伝い』の体で要求を呑むの、すごく好きな怪盗クイーン……。
・RDの人間体好きすぎるな
・瓶の切断大好き。嬉しい。怒られた時の「はーい」の言い方が完全に反省していない子供で大好き。
以上が現時点での感想だ。公開中にまだ行く気がするのでおそらくまた更新されるだろう。
最後に、タイトルにある怪盗クイーンが全ての始まりだったかもしれないという話。他作品の話になるが、私は昔から『名探偵コナン』では怪盗キッドが一番好きだ。他のキャラクターももちろん好きだが一番が揺らいだことは無い。怪盗キッドは知っての通り、キザな言葉を使い、予告状を出して大胆不敵な手口で宝石を盗む怪盗。白のタキシードやシルクハット、モノクルなどが特徴で、根っからの悪人ではなく宝石は元の持ち主や警察に返し、高い身体能力を持ちながらも決して人は傷つけず、時には敵と言えど助けを求めている人がいたら危険を冒して助けに行く……。そこまで思って気がついたのだが、私が名探偵でも警察でも謎の組織でもなく、どうしようもなく怪盗に惹かれたのは怪盗クイーンが影響しているのでは、ということだ。前述した通り、怪盗キッドと怪盗クイーンは怪盗としての在り方がよく似ている。そして私の中では無意識のうちに怪盗=怪盗クイーンとして地盤が固まっており、そこにぴたりと当てはまる怪盗キッドが現れて思わず惹かれてしまったのではないかと思ったのだ。
さて、恐らくここまで読んでくれた方は怪盗クイーンの映画を観た方だと思う。もしその中でもまだ原作を読んでいない方がいたら是非読んでいただきたい。もちろん映画はとても綺麗に纏まっていて全く不満はないが、どうしても1時間という尺の壁があり入らなかったであろうやり取りや設定が原作にはあるため、原作を読めばより楽しめると思う。
今後、怪盗クイーンシリーズの映画化が恒例化するようにと願いを込め、このブログを終わりとする。